昆明にて(7)

Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G
Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G

出入り口付近の頭上に大量に掲げられたこれらの旗は、おそらくタルチョだと思うのだけれども、もしそうならこういう使い方をして問題ないのかどうか、その辺が「民族村」の興味深さの一つである。あるいはこれが現代中国流なのかもしれないし、より一般的な意味で現代的といえるのかもしれない。タルチョとはチベット族の祈祷の旗のこと。経文が書かれている場合には、風ではためくと経文を読んだことになるという。

昆明にて(6)

Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G
Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G

司馬遼太郎の『街道をゆく』に「中国・蜀と雲南のみち」という一冊があり、昆明やイ族のことが書かれている(ちなみに蜀とは四川のこと)。参考になるとは思わなかったけれども、これも縁と思って行きしなに読んだところ、何故か関川夏央を読みたくなり、帰国後に買って読んだ。すると今度は夏目漱石を読みたくなって、青空文庫で『永日小品』を読んだ。『永日小品』最後の一篇「クレイグ先生」を読んでいたら、急に小島信夫の「返信」が読みたくなって本棚を探したのだが、どうも見つからない。今回のリレーはここで終わりだと思うのだけれども、きちんと終わらないと、どうにも落ち着かない。…と思い、翌日オフィスで探したら見つかった。無事終了。

昆明にて(5)

Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G
Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G

イ族のエリアの女性。彼女はこののち、他の民族衣装を着た女性たちと一緒に踊りを披露した。それはイ族の踊りというより、いろんな少数民族の踊りをアレンジして合体させたようなもの。そしてそれは「雲南映像」のような大がかりでもなく、洗練されたものでもなく、もっともっと素朴なものだった。ただしその素朴さは「民族村」表象の素朴さ、独特さを示しているとも思われた。

昆明にて(4)

Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G
Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G

水族(スイ族)のエリアで働く青年。水族の多くは隣の貴州省に住むが、一部が雲南省に居住している。比較的早くから漢族化している少数民族ともいわれているが、それとは(おそらく)関係なく、民族衣装の下からのぞくTシャツが、今の若者らしさを伝えている。

昆明にて(3)

Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G
Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G

今回の昆明では祈る場面に遭遇することが比較的多かった。というか、おそらくそれが普通なのだろう。祈りは膝をついて全身全霊で行うので、座布団がいる。見ていると、それはもう「祈り」というよりもっと直接的な「お願い」のようだ。それに比べると、僕らはあまりに祈らないようにも見える。祈るべきことは山積みだというのに。

昆明にて(2)

Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G
Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G

「民族村」における少数民族のさまざまな表象はどれも面白いが、なかでも印象に残ったものの一つはワ族のもの。ワ族はかつて首狩りの風習をもっていたらしいが、ここで飾られているのは水牛の骨。実際の村にも飾られているのを再現しているというが、骨に朱をあしらっているところなど、ある種の「むき出し感」があって面白い。とはいえ、個人的には、ワ族と言えばやはりケシやアヘンを連想する。そういえば、ワ族の女性は煙草をたしなむようだ(しかも細いパイプ)。前回の調査では、タイ族のある集落では女性が煙草を飲むことは望ましくないこととされていたし、女性自身もそう語っていた。どうやらその辺にもいろいろある様子。

昆明にて

Nikon D800E w/AF-S Nikkor 50mm 1.8G
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仕事で中国雲南省を再訪。今回はいつもの新平イ族タイ族自治県には行かず、省都の昆明市で資料を探したり、市近郊である少数民族支系の活動を調べるなどしていた。少数民族の実際の村には行ったことがあるものの、「民族村」という少数民族の生活を再現したテーマパークには行ったことがなかったので、今回初めて行ってみた。情報化され商品化されるということの感触や意味を含めていろいろ考えさせられた。かなり面白かった。